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リスクとなる要因と強みになる要因

 かなり時間があきましたが,第7章「加害行動に関連した静的要因、安定的要因、動的要因」の後半部分では章のテーマである静的(Static)要因、安定的(Stable)要因、動的(Dynamic)要因の3要因について論議されます。その要点を示します。

 <静的(Static)要因>とは、変化しない要因で、その人の生育史/生活歴における出来事です。例えば,出産状況、家系や文化、早期の経験など過去の歴史上の出来事で、変えることができません。3要因のどれについてもいえることとですが、要因についてはリスクとなる側面とメリットや強みとなる側面があります。例えば、出産状況では、通常の出産ではリスクになりませんが、胎児性のドラッグやアルコールへの暴露があるとリスクになりかねません。共感に満ちた乳幼児期の養育は今後の発達についてのメリットや強みになります。逆に乳幼児のニーズや状態に無頓着な不適切な養育はリスクとなる可能性が高まります。

post.jpg  静的な要因の一つである早期の養育は、さまざまな心理的影響をおよぼします。養育者は子どもが泣くこと、笑い、視線などさまざまな行動をニーズを知らせる合図として読み取り、子どものニーズに満たそうと愛情を込めて養育します。こうした養育は共感的な人間関係の基礎を形作ります。一方、養育者がこうした感受性を示さず共感的な養育が不十分であれば、子どもは自分の内側からのニーズや感情、例えば、遊んでほしい、空腹だ、不快だ、などを感じ取って、養育者などとのコミュニケーションのチャンスを失います。対人関係に必要なスキルの獲得や自分の感情などに対する感覚が危機にさらされ、基本的信頼関係の形成に悪影響を及ぼします。

 <安定的(Stable)要因>は永続的で変化しにくい要因で、その例として気難しさなどの気質や学習上の問題があげられます。これらは変えられず固定的なものとまではいえないけれども、変化させるには時間やエネルギー必要にかもしれません。

 <動的(Dynamic)要因>は変化する要因で、変えることが可能な要因です。動的リスクは、病気やケガ、未解決の情緒的問題など長期的で全般的である程度予見できるものと、怒りや不安、低い自己肯定感や不十分な自己効力感のように人よって異なり、個別的で状況に左右されやすく、日常的なものの二つにわかれます。

 過去の出来事は変えられず、変化しない要因とはいっても現在に対する影響は変えることができます。加害行動への介入や心理支援の目的は、動的で変化しやすいリスク要因を減らし、同時に加害を阻止し健康さを増進する保護的要因を強め、静的なリスク要因の現在への悪影響を減らすことです。
 加害行動のリスク要因を低下させる動的な強みとして本書は以下の8項目をあげています。(Table 7.5  Dynamic Assets Relevant to Decreased Risk. p.93を一部加筆修正)

①自己、他者、所有物に対する加害であると認識する
②リスクを知る
③加害による解決にたよらず加害のサイクルを阻止する
④新たな対処方法を身に付ける
⑤不快感や嫌悪感など自己と他者が示す手がかりに気づき応答する(共感性)
⑥自己の行動に責任をとる
⑦フラストレーションや不快な出来事に気づき対処する
⑧自己に対する認識やイメージとは相いれない加害の考えをしりぞける
underpass.jpg  人生におけるストレスとなることをあらかじめ想定しておけば、感情面への波及を和らげ、リスクを緩和することが可能になります(②)。うまく機能し適応的であれば、日常のストレスを予見することは通常のことであって、どのように対処するかをあらかじめ考えておくことができます。こうした見通しや準備はこれまで時間をかけて習得してきたことです。
 逆にうまく機能できていない場合、例えばストレス要因に対して怒りや暴力などによるのは、人生の初期段階で対処のためのスキルが習得できず、養育者など周囲からの援助も得られなかったために一時的な適応として生じたのかもしれません(③ ⑤ ⑦)。加害など問題行動による対処法が頭に浮かんだときにはそのパターンを遮断し(⑧)、支援や指導の中で新しい対処法や選択肢を示します(④)。
 加害に関連した共感性の欠如は、他者が苦痛や不快であることを示す手がかりを認識できなかった、手がかりを誤解釈した、あるいは不快や苦痛を気にかけなかった結果ではないかと考えられます(p.94)。(① ⑥)

  健康さを増やす動的な強みとして9項目あげられています(Table 7.6  Dynamic Assets Relevant to Increased Health. p.95) 。最初にあげられているのは、積極的な人間関係のスキル、特に人間関係において親密さや信頼感を確立する能力はです。心理的に安全で共感的な人間関係を構築する能力は、対人加害のリスクを減少させる最も保護的な要因の一つであるからです。さらに、向社会的(他者や社会に対して配慮し協力的な行動をとる)な友人、家族や地域社会のサポートなどが続きます。リスクにより加害行動により逸脱へと強化されることに対して健康的な愉しみによって対抗することが重要だと結ばれます

     (ホンダタカシ)

2023/07/28 09:30 | 未分類trackback(0)  | top

同じような経験をしたとしても、性加害につながる人とそうでない人に分かれるのはなぜか(前)

 ライアン(Gail Ryan)、レバーシー(Tom Leversee)、レイン(Sandy Lane)による『未成年者性加害:原因、結果、矯正 第3版」(Juvenile Sexual Offending:Cause, Consequences, and Correction. 3rd edition』 (2010). John Wiley & Sons, Inc.)の第7章は「加害行動に関連した静的要因、安定的要因、動的要因(Static, Stable, and Dynamic Factors Relevant to Abusive Behaviors)」です。
 なお、「これまで本書のタイトルは「未成年者性犯罪」としてきましたが、広範囲な内にあわせてより限定的な犯罪Offendよりも加害abuseの室内 方が適切かと考えました。

 1990年代の終わりから2000年の初めにかけての研究では、(a) 性加害青少年の再犯リスクは非性加害よりも性加害の方が低い (b)特に治療後、青少年は成人性加害者と比べて性再犯の頻度は低い (c)一部の性加害少年は、逸脱した性的関心または覚醒パターンをもつ などが明らかになりました。
  こうした成果などから、未成年者についていえば、性加害を行った青少年は性的に逸脱した独特な存在ではなく、他の非行少年との類似性が高く、成人の性犯罪者との類似性は低いのではないか、というのが本書の基本的な考え方です。したがって、性加害とは、自己、他者、財産に危害を与える加害行為そのものであって、他の非行少年と同様のリスク要因に着目すべきだとしています。

 この章では加害行為に関連するさまざな要因に対して考察しますが、その議論は同じような経験をしたとしても、一方は加害行為を行い、他方は行わない、この差はどこから生じたのかという疑問の答えにつながります。

 性加害を実行した青少年において、以前に被害を受けた事例が大変の多く、その発達プロセスやセクシュアリテイに対して強く影響していると言われています。しかし本書では、彼らが被害から加害への移行したのではないかとの仮説については慎重な姿勢です。被害体験だけでは行動上の機能不全や犯罪行動を説明できないし、結果を予見するユニークな力もないと指摘しています。

 本書が注目しているのは、青少年の認知です。認知とは、認識であって、知識、記憶、思考などの総称であって、自己自身についての、他者や他者との人間関係についての、世界についての、見方です。認知は発達プロセスの産物であって、新たな情報や経験を、自己・他者・世界観とそれぞれの関係についての見方(認知)に取り込みあるいは修正していきます。ピアジェの発達理論を援用していますが、自己・他者・世界という文脈/コンテクストのなかで、発達が展開していくという仮説です。発達段階の展開は共通していますが、一人ひとりの状況の空間や時間の広がりは異なるので、例えば人間関係のあり方やその理解や行動につながる判断、つまり認知も異なります。このプロセスが個人差をもたらします。
 認知は犯罪につながる人とそうでない人の分岐になるのかもしれません。単純に性加害やその他の障害行動の原因を説明できるひとつの事実や理論は存在しないのではないか、と本書は結論づけます。
 さらに考察は続きます。

  武田清一(著)『ボーカルはいつも最高だ! 武田流アナログで聴くヴォーカルの愛し方』駒草出版(2015年)。小さくてわかりにくいのですLazy Afternoonが、腰巻を外した本のカバー絵はレコードジャケットそのままに、Captalか MercuryのようなSingsというレーベル?(本の裏カバーの写真にある著者の店の名)の下に、グラス片手に煙草をくゆらすコート姿の著者?の隣にはマリリン・モンローがテーブルに寄りかかっています。二人のうしろにもジャケットで見たことのある歌手が。
 マリリン・モンローのレコードについて書かれた『ブレントウッドの白い窓』では、著書が定期的に開催しているレコードコンサートで女性客がモンローの歌を聞いて泪したイントロに始まり、著者のお母さんがロスアンジェルスにお住まいであった頃モンローがその近くに暮らしていたこと、観光客からモンローの家の場所をよく尋ねられたことなどを楽しく語り、このブレントウッドというところがほんとうに好きだ、と結ばれます。
  思わず目を引きよせられる『レイジー・アフターヌーン(気だるい昼下がり?)』のレコードには、「彼女の喉に引っ掛かるかすれ声は官能きわまりなく、その歌の囁きには頬をザラッと触れられたような魅力が溢れている」と、針を落とした時の味わいが伝わります。                   (ホンダタカシ)

2023/05/19 03:07 | 未分類trackback(0)  | top

三つの類型が提案されてています

 続く第6章のタイトルは「類型調査研究:多様な対象集団に対する理解を深める」(Tom Leversee)です。性問題行動を実行する未成年者をタイプ別に分けることができるか、がテーマです。「性加害少年について経験に基づき検証された類型は存在しない」と冒頭で結論付けていますが、サブタイプ(下位分類)の存在は認めています。このサブタイプはさまざまに分かれ、限られた類型にまとめ上げるには無理があると指摘しつつも、ここでは心理社会的な能力に不足のある(PychoSocial Deficit)タイプと全般的な非行や行動上の問題のある(General 朝日 Delinquency)タイプを取り上げています。これら二つに加えて、具体的なところは流動的ですが、前思春期の子どもに動機づけられた少数のグループの存在が指摘されています。

 心理社会的な能力に不足のあるタイプとは、社会性や対人関係スキルが低下し、自尊感情が高まりにくく、同年代の仲間との関係を形成し維持することが難しい状態です。全般的な非行や問題行動のあるタイプとは、盗み、暴力、破壊などの非行を実行するものです。
 心理社会的な能力不足のタイプでは、適切で健康的な社会的な関係を築いて維持するスキルが不足し、親密な関係を持ちたいというニーズを満たすことができないことから、それらの補い代償することを目的とした性加害であると考えられます。性的とは言えないニーズから性行動を選択しています。なかには、社会の中で孤立し疎外感を感じ、その結果不安感や抑うつ感が強まることがあるとしています。

 全般的非行・問題行動のタイプは、思春期に限定して反社会的行動をしめすグループと生涯にわたって持続的に反社会的行動を示すグループという二つの下位グループにからなります。思春期限定タイプは、一時的で状況に依存的であるが、成人期に向けて向社会的な行動の増加に伴って落ち着いていくと言われています。生涯持続タイプは、子ども時代に始まり生涯にわたって、暴力的、自己中心的、敵対的な行動が継続すると指摘されています。本書のデータでは非行を実行する青少年の5、6%にすぎないとしています。

 こうした類型は、治療、ワークの考え方、進め方、技法などを論じた章で再び具体的な形で取り上げられます。
 この章の最後では類型を離れて、再犯について述べています。そこで紹介されている
Worling, J. R., Litteljohn, D., & Bookalam, D. (2010)のデータでは、米国の未成年者の性犯罪者を12年から20年にわたって追跡し、専門的治療を受けた群保田紙 (58人)の再犯率は9%であったが、受けていない群(90人では21%で両群で大きな差が示されました。非性的な暴力の再犯については、専門的治療を受けた群は22%、受けていない群は39%だと報告されています。未成年者の再犯率で比較すると、性犯罪よりも非性犯罪の方か高くなるという結果でした。性加害ばかりに着目せず、未成年者については性的ではない課題にも目を向ける必要性があるのかもそれません。

 モノクロームの写真は和歌山の保田紙を製作している工房の中庭で漉いた紙を天日で干している裏側です。体験交流工房わらし(https://www.town.aridagawa.lg.jp/top/kanko/mokuteki/taiken/1779.html)うちわを張りなおすために保田紙を求めました。丈夫なうえに、薄いクリーム色がかった白が大変きれいです。
  (ホンダタカシ)

2023/04/22 15:40 | 未分類trackback(0)  | top

「逸脱」は発達のつまずきか?

  本書『青少年の性加害』(Ryan、G., Leversee, T., & Lane, S., 2010)の第5章は、Brandt Steele & Gail Ryanによる(性的)逸脱deviancyがテーマで、副題は「発達のつまずき」です。冒頭で、逸脱とは「基準や規範から著しく逸脱した性質、行動、思考」と定義されます。他と異なっていることは評価されることもありますが、一方で問題とされることもあります。この章では性加害など、他者に悪影響をもたらす性的逸脱を検討します。この定義のもと、deviancy(逸脱)だけでなく、molestation(性虐待)、exploitaition(搾取などの表現もみられますが、本書のテーマである加害(abuse)とほぼ同じ意味で使われています。

 トロッコ 性的逸脱の展開を検討する時には、セクシュアリテイの規範と発達していく領域の二つを理解する必要があるとしています。
 セクシュアリテイとは、以前引用したWHOの定義をもとにすると、「セックス、ジェンダー・アイデンティティ、役割、性的指向、エロティシズム、喜び、親密さ、生殖など領域における、思考、空想、願望、信念、態度、価値、行動、実践、役割、関係として体験され表現される」ことであって、広く人としてのありようの基本の一つといえます。こうした意味を持つセクシュアリテイは、文化の影響を受け、家族や社会での経験から形成され、発達します。

 性的逸脱、いいかえると逸脱したセクシュアリテイは経験による学習だと著者らは考え、逸脱した性行動は環境の産物だと主張します。その起源は幼少期のネガティブな経験ではないか、というのが著者らの仮説です。幼少期の経験とは児童虐待、家庭機能不全(児童期逆境体験ACEsと重なります)です。こうした被害体験の結果、情緒的に十分ケアされていないという感覚、愛されていないという感覚があると指摘しています。「ほぼ良い抱っこの環境」が親から提供されなかったために、「価値のある自己という確かでまとまりのある感覚」が育たなかったことが原因だとしています。

 ほぼ良い抱っこの環境とは、ウイニコットの「ほぼ良い母親good enough mother」、またはそういった母親が提供する養育環境です。「初めは幼児の欲求にほぼ完全に適応し,その後時間の経過に伴い,母親の不在に対処する幼児の能力が次第に増大するのに応じて,徐々に適応の完全さを滅らしていく母親」を指しています(ウイニコット (橋本正雄 訳)1979, p.14)。

 こうした養育環境の結果、喪失感を経験し、空虚感を持ち続け、依存したい気持ちが強くなります。発達は停滞し、こうした望みを満たすために、何かを探し続けます。心の中の混乱を解決する手段として、性的行動が触発され、逸脱へと変わるかもしれません。愛されること、育てられること、大切にされることを強く願っているにも関わらず。

 本章の後半は事例によってこうした見立てを補強するために、19歳ロバート、29歳(はっきりしない)ウォーレン、8歳ビリー、12歳ミッキー、14歳チャック、14歳ジェイの6事例があげられています。いずれの事例もかなり混乱した生育環境であり、きびしい児童期逆境体験ACEsを経ています。その結果、「荒涼とした幼児期に残された空虚さや渇きを性的活動によって」しずめようとしているように思えます。
  副題の『発達のつまずき Development gone wrong』は人生初期の幼少期の生活環境をきっかけです。
mono2.jpg
 LPレコードには、モノーラルレコード がたくさん残されており、今も楽しまれています。大雑把に説明すれば、右と左の二つの経路(チャンネル)で再生することを前提にして録音したものがステレオで、一つの経路で録音し、再生するのがモノーラルです。モノーラルからステレオへと技術的に発展しました。
 ステレオレコードを再生するとプレイヤーや歌手は眼前に広がりますが、モノーラル専用のカートリッジでモノーラルレコードを再生すると全員が集まって演奏します。必ずしもマイク1本で録音しているわけではありまぜんが、かわるがわるマイクの前に立ち歌ったり演奏しているように思え、音の密度と現実感が強まります。1954年に録音されたこのレコードだと、サラ・ボーンだけでなくクリフオード・ブラウンがいい感じで唄い吹いているようです。名盤です。
             (ホンダタカシ)

2023/03/25 14:05 | 未分類trackback(0)  | top

共感は同情とどこが違うか

  これまでご紹介してきた「青少年の性加害(Ryan、G., Leversee, T., & Lane, S., 2010)」では、第17章統合的理論と方法:目的志向治療で『共感』を取り上げています。共感に関する部分は1ページに満たない分量ですが(pp.303-304)、加害者に対する心理支援や指導では重要で、とりわけ加害行動による被害や被害者を理解するうえで欠くことのできないことのできないテーマです。

 ここで取り上げられている共感に対して重要な役割を果たしているベネットの論文(2013/1979)をご紹介します。なお、わたしたちの著作である「性問題行動のある知的・発達障害児者の支援ガイド:性暴力被害とわたしの被害者を理解するワークブック」でも参考にしています。
 
 この論文は「異文化間でのコミュニケーションの基本概念:枠組み、原理、実践」という論文集の1篇で、そのタイトルは「黄金律に打ち勝 影 つ:sympathy(同情)とempathy(共感)」というものです。
 黄金律とは、新約聖書「マタイによる福音書」第7章12の「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい(一部略)」  というものです。「ルカによる福音書」第6章31にも同様の文言があります。”だれかにしてほしいことは、相手にもしなさい“とも、逆に“してほしくないことは、人にもしてはいけない”という否定の形でも知られています。

 どのように振舞っていいかわからないとき、相手がどうのように思っているわからないとき、少なくとも、私が嫌なことはたぶん相手も嫌がる(だから相手の嫌がることは行ってはいけない)、というのは至極もっともな考え方です。自分がどのように扱われたいかを想像して振舞う、だからたぶん相手も同じように扱われたい、と思っているはず。

 ここにある前提は、私もあなたも似ている、という考え方ではないかとベネットは指摘します。ベネットはこれを「似ているという前提」と呼び、見かけも言葉も考え方も違うけれど、結局わたしもあなたも似ているんじゃないか、という一元的現実を前提にしているといいます。

 「sympathy同情」は、わたしたちは似ているという前提によるコミュニケーションだとベネットは主張します。同情は「想像力を働かせて他人の立場に自分を置くこと」と辞書にもありますが、他人の立場に自分を置いたり、他人の苦しみなどを同じように感じることができるのは、わたしもあなたも「似ているという前提」を持っているからです。相手のような状況になれば、自分自身はどう感じるかを参考にしています。背後に自分自身の視点がありそうです。

 一方、似ているという前提とは逆に、わたしたちは別々で本質的にはユニークだ、という仮定、最近のキーワードのひとつでもある多様性という考え方です。わたしたちは見かけも言葉も考え方も違っている、「異なっているという前提」であって、現実は単一ではなく多元的ではないかという考え方です。
 ジェットコースターに乗ればスリルとスピード感を体験してまた乗りたいと思う人もいれば、こんな恐ろしい乗り物には二度と乗りたくないと嫌う人もいます。同じ現実を体験しても理解や生じた感情は違います。逆に、自然災害を経験した時もスポーツ競技をした時も、わたしたちはつながりを大切にすべきだ、と異なる現実を経験したとしても同じような考え方や理解に至ることがあります。

 「異なっているという前提」からベネットは「empathy共感」を「他人の経験に想像力をもって知的、感情的に参加すること」と定義しています。相手の対場に身をおく同情とは異なり、共感は相手の経験に参加することだとしています。同じ立場に立ったとしてもある経験に対する理解や感情は異なるかもしれません。「相手の頭の中や心の中に入り込み、あたかも自分がその人であるかのように、相手の体験に参加することが必要」だとベネットは主張します。
 カウンセリング(来談者中心療法)を唱えたロジャーズの「あたかも自分自身のものであるかのようにクライエントの私的な世界を感じとる、しかしながら《あたかも~のように as if 》という特質を失わないように」(Rogers, C. R., 2007、p.241)というセラピストの共感的に理解についての記述と重なります。

葉 同情は相手の立場に立つことに焦点があり、わたしたちには類似性があるからそれが可能だ、というものですが、共感は経験や視点に焦点があり、そのためには相手の「視点の取得」が必要です。言い換えると、視点を自己自身から相手の経験を認める視点への転換が必要です。共感はともすれば相手の気持ちや感情に関するものと思われがちですが、その焦点はまず相手の認識にあり、次いでそれに連なる感情や思考へ展開します。

 
わたしたちの「性問題行動のある知的・発達障害児者の支援ガイド ワークブック」では、被害者もまた個別的でそれぞれユニークな人生を歩んできたはずで、被害者というものというようにひとまとめにすることはできません。被害にあった時の様子や行動から相手(自分の被害者)はこのように考え、感じているのではないか、と共感的な理解につなげようとしています。

 論文は最後に「相手が望むことを相手に対して行え」、これをプラチナ・ルールというそうですが、「黄金律」を超える考えた方だと述べています。少なくとも、わたしたちは共感的に、「他者はその人の視点からどのように接してほしいかに気づくことができる」はずで、わたしたちは必ずしも「そのような扱いを望まないし、できないかもしれない」が、互いに違いをみとめ、尊重しようと結んでいます。

〇Bennett, M. (2013) Overcoming the golden rule: Sympathy and empathy. in M. Bennett (Ed) Basic concepts of intercultural communication: Paradigms, principles & practices. Boston: Intercultural PressOriginal Publication: Bennett, M. (1979). Overcoming the golden rule: Sympathy and empathy. In D. Nimmo (Ed.), Communication Yearbook 3. International Communication Association. New Brunswick, NJ: Transaction Publishers.(pp. 406-422))(Retreaved from  https://www.researchgate.net/publication/320818681_Overcoming_the_Golden_Rule_Sympathy_and_Empathy
〇マタイによる福音書 https://www.bible.com/ja/bible/1819/MAT.7.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3
〇ルカによる福音書 https://www.bible.com/ja/bible/1819/LUK.6.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3
〇Rogers, C. R. (1957). The Necessary and Sufficient Conditions of Therapeutic Personality Change. in APA. (2007). Psychotherapy:
Theory, Research, Practice, Training
. Vol. 44, No.3 240-248.  This article is a reprint from Journal of Consulting Psychology, Vol. 21. No.2, 95-103. (ロージァズ C.R.著 伊東博(編訳)(1966). パースナリティ変化の必要にして十分な条件 ロージャズ全集第4巻サイコセラピィ
本多隆司・伊庭千惠(2016)  性問題行動のある知的・発達障害児者の支援ガイド性暴力被害とわたしの被害者を理解するワークブック 明石書店

                                                                      (ホンダタカシ)


2023/02/24 09:36 | 未分類trackback(0)  | top

セクシュアリテイの発達(3)ー思春期から成人期にかけて

 本書はASB研究会(AntiSocial Behavior研究会)で翻訳し学習してきました。経験や実践を思い起こして理解し納得できるところもあれば、一つの単語に難渋し原著や資料を探しまわることもあります。読み進むについれて、言いたかったのはこれだったのか、と理解が進むこともしばしばです。
 
  性の発達は思春期以降に誰の目にもはっきりしてくるので、社会の関心もその時期に焦点があたっていますが 、セクシュアリテイの発達としてみればbicycle1.jpg これまで見てきたように胎生期から始まる成長と発達が積み重ねられていきます。  
 後半部では、思春期のセクシュアリテイについて北米の青少年を対象とした調査や研究が多数あげられています。文化や社会情勢の違い、思春期の性に対する対応方法、社会の認識、教育のシステムなどさまざまな点での違いがあります。また青少年の性問題行動のデータが日本ではなかなか見いだせない現状では、一般的な知見としてみることができるかどうかについては検討が必要かもしれません。

 思春期から成人期にかけての特徴として、社会的にも経済的に成熟し「一人前」とみなされる前に、性的な成熟が先行し、発達上にズレが生じているのではないかと指摘されています。そのズレはかっては思春期が比較的短い期間であったものが長期化した結果ではないかというのです。
 大脳の成熟についても、感情をつかさどる領域(大脳辺縁系)の成熟が先行し、衝動的行動をコントロールする領域(前頭前皮質)の成熟との間にずれが生じていると研究があります(J. N. ギード 「10代の脳の謎」 日経サイエンス2016)

 こうした段階にあって、性行動をする理由や動機は、単に性にとどまらず多岐にわたります。以下にそれらをあげます(p.48 Figure 4.3 Motivation for Sexual Behavior (Reason Why to Do Sexual Thngs) を一部簡略化)。

探究心・好奇心(これは一体なんだろう?)
模倣する・学習する(見る、実行する、教える)
刺激を求める(退屈しのぎ、ストレスを和らげる)
気分を高める(覚醒、緊張を緩和)
楽しみ(つながり、親密さ、友情、愛 )
生殖(思春期から)
補償する/改善する(すっきりする、セルフイメージ/セルフコントロールを取り戻す)
怒る・報復する(仕返しをする、傷つける、怒らせる)

  このうち、怒りや報復の動機による性行動は当然、問題となります。他の動機であっても、時や場所が不適切であると問題になることがあり、その行動が本人らにとってリスクになることもあります。   
bicycle2.jpg  退屈しのぎ、緊張の緩和、セルフコントロールを取り戻す、など必ずしも性と結びつきがあるとは思えないものもあります。『セクシュアリテイの発達(1)ー胎児期から新生児期』で説明したように、セクシュアリテイを「人としての中核」だと広くとらえれば理解できます。これらの理由や動機は、歪みのある環境の影響、誤った理解や不十分な学習などの結果、発達上の歪みなどが原因しているかもしれません。性問題行動に対応する時には、懸念だけにとらわれず、その行動が問題となる理由を「ていねいにかつ明確に把握する」ことが重要であると本書は主張しています。
 
  ここまでみてきたように、 「乳幼児は生理的に性的な反応をする能力」があります。「自分や他人の身体に好奇心を持ち」、愛着の発達にともなって「他者との親密な行動ややり取りに魅力を感じる」ようになっていきます。励ましや教育によって、「子どもは経験から学び、健全なセクシュアリテイを発達させ、性の意味を理解」し始めるだろう、と述べています。
 しかしながら、さまざまな情報があふれかえり、青少年は矛盾した、理解しがたいメッセージやイメージにさらされ、標準的な学習や経験が困難な状況に直面していると本書は指摘します。彼らが誤った情報を得て混乱し、問題行動につながるリスクがあると認識する必要があります。子どもの行動に対して「不快さだけで反応するだけでなく」、また「保護するだけでなく」、「経験などから学んだ内容を積極的に修正し必要があれば修正必要があることは明らかだ」とCart2.jpeg 結んでいます。
Giedd, J. N. (1915) The Amazing Teen Brain. Scientific American.(J. N. ギード 「10代の脳の謎」 日経サイエンス2016

 レコード盤の上にみえる赤と緑のコードがついた小さな器械が、昨年末に発売されたMC型カートリッジ専用のヘッドアンプ(WP-MCHDA01)です。その下の黒い箱ように見えるのがカートリッジで、レコード溝の変化をひろって電気信号に変え、このアンプがごく微小な電気信号を増幅します。
 カートリッジを固定するシェルに直接のせることができる画期的独創的なアンプです。レコードプレーヤー周辺の電気的ノイズの影響を受けにくいところが最大の利点です。
 自作した機器にミスもあって手間取りましたが、販売店からのアドバイスもあってなんとか音出しにこぎつけました。これまでの音とは違って演奏者が一歩前に出たように感じられ、彫りの深い音色です。中古レコード店通いが一層楽しくなりそうです。
           (ホンダタカシ)

2023/01/29 07:03 | 未分類trackback(0)  | top

セクシュアリテイの発達(2)ー生後1年から幼児期まで

 第4章「出生から成人期までの発達面におけるセクシュアリティは、続いて生後1年から幼児期の期間を取り上げています。
  前節のタイトルは「生後1年の身体の探求と自体愛」です。自体愛autoeroticismとは見慣れない言葉ですが、新生児期の性的活動をさし、指しゃぶりに代表されるように「身体」自体に向けられ、「わたし=自己」が対象になる前の段階です。フロイトは自体愛について、「 ・・他者に向けられたものではない ・・・ 自分の身体で充足される・・ 」(性欲論三篇 S.フロイト(1905) p.103)と述べています。壁

 「幼児」
 乳児は性器など自分の身体のあちこちを探索しますが、一方、発達にともなって少しづつ自分と他者とのかかわりが始まります。
 
 乳幼児期の無秩序な性器に対する認識とは異なり、この段階に入ると規則的な発達の順序で起こり、性器に対する心理的意識など心身の機能のすべての領域に影響を及ぼすようになります。よく見られる性器いじり/自慰行為は、「 ・・正常な乳幼児の発達において一般的な経験であって ・・・ ほぼ普遍的なものとして認識され、就学前児によく見られ、緊張を緩和するもの・・・ 」だと考えられてきました(p.38-39)。

 言語活動が活発になることから、空想も始まっていると考えられています。空想は非現実的だと思われがちですが、思春期や成人期では直接に経験したことや見聞きしたことにつながっており、幼児では「記憶に保持された情報を単純に反映した思考」に近いものと、「将来の経験に向かう目標としての空想」の二つに分けられます(p.39)。近年は過剰と思えるほどの性的な刺激にあふれていますが、子どもの性的空想は大人ほど露骨でもなく、あからさまでもありません。
 子どもの空想や思考の内容はさまざまですが、子どもの質問からそれをうかがうことができるとの報告があります。研究によれば、赤ちゃんの起源、他の赤ちゃんの誕生、身体の違い、身体の器官や機能、出産のプロセス、父親と生殖の関係、子宮内での成長、結婚などを知りたいようです。

 幼児期では、自己や他者との身体接触から離れて社会化が始まります。割合早くから、親との身体接触によるコミュニケーションによってやり取りするものではないことを意識し始めるようです。仲間との遊びも活発になり、性的な遊びになることもありますが、社会的なものが中心になっていきます。

「前思春期」
 かっては8歳から12歳までを前思春期とされ、フロイトが「潜在期」(性欲論三篇 S.フロイト(1905) p.95)と呼んだように性的な活動が抑制され性的ではない領域(フロイトは「文化」と呼んだが)にそのエネルギーが向けられる時期とされました。しかし、5歳から10歳までの間、性的な発達が止まるのではなく、性に関する関心などを大人と共有しなくなるので観察されにくくなると言われています。

 思春期になれば周知のとおり性的な関心は高まり、性的な関りでは特定の人、特定の性別になると同時に、性的、心理的、社会的な変化も、思春期の間に成熟し続け、成人の性的機能へ移行へ向かいます。生物学的な思春期(女子は初潮、男子は射精可能)は、8歳から15歳の間に始まりますが、本人自身がどのようにとらえてよいか戸惑うことがあります。この時期は早まりつつあると言われています。

フロイト  ここまで、胎児期に始まって思春期の手前までのセクシュアリテイの発達を簡単にまとめました。みてきたように、セクシュアリテイは発達という観点からみるとかなり広い概念です。

「性欲論三篇」 S.フロイト(1905)  中山元(編訳)(1997) 『エロス論集』 ちくま学芸文庫
「性欲論三篇」 S.フロイト(1905)  懸田克躬・吉村博次(訳) 『フロイト著作集第5巻』 人文書院
(ホンダタカシ)

2023/01/12 14:10 | 未分類trackback(0)  | top

セクシュアリテイの発達(1)ー胎児期から新生児期

 第4章のタイトルは「出生から成人期までの発達面におけるセクシュアリティ」(Sexuality in the Context of Development From Birth to Adulthoodd)です。
 セクシュアリティという言葉は、性的関心や性別などの意味とされることがありますが、もう少し深く広い意味があります。性と生殖に関する健康と福祉をテーマとしたWHOのレポート「性的健康を定義するDefining sexual health」がよりはっきりと示しています。限定的にとらえられがちな性を「人間であることhuman being」に重ねている幅広い定義です。波止

 セクシュアリティは、生涯を通じて人間であることの中核であり、セックス、ジェンダー・アイデンティティと役割、性的指向、エロティシズム、喜び、親密さと生殖が含まれている。セクシュアリティは、思考、空想、願望、信念、態度、価値、行動、実践、役割、および関係において体験され表現される。セクシュアリティはこれらすべての次元を含むことがあるが、それらすべてが常に体験され表現されるわけではない。セクシュアリティは、生物学的、心理学的、社会的、経済的、政治的、文化的、倫理的、法的、歴史的、宗教的、および精神的要因の相互作用によって影響される。
 未成年者の性問題行動を考えるとき、「性」の「加害」としてだけではなく、セクシュアリテイの発達上の問題としてとらえる必要があります。この章は出生前の胎児期に始まり、成人期までを対象に24頁にわたってセクシュアリテイの発達を論じています。32頁の一節をもとに概略します。

 子宮内の段階では、これからの成熟と成長のもとである触覚や聴覚などの感覚の発達が始まります。なでたり、ゆすったりした時の刺激が胎児に伝わり、成熟と成長が促されます。体を動かすことは、緊張を和らげ、楽しい気持ちを高めているかもしれません。 また聴覚を通じて母親の心音や声、外部の環境音や人々の会話などから、心地よいリズム、さまざまな音色を受けとります。出生直後の新生児が母親の声とそうでない声を聴き分けていたのではないかという研究結果があります。(DeCasper, A. J., & Fifer, W. P., 1980)

 生後1年間は、将来のコミュニケーションと親密さのパターンの基礎が形成される時期です。養育者とのやりとりは生後数日で始まり、愛着行動(愛撫、やさしくなでる、キス、見つめる、話しかけ、抱きしめる)に反応して愛着の形成がはじまります。生まれた瞬間から母親に刺激され、抱きしめられ、愛撫され、興奮させられ、感情の成熟はこうした刺激に依存しているのではないかと考えられています。養育者と一緒に過ごす時間が、早ければ早いほど、多ければ多いほど、良ければ良いほど、その関係はより親密になりますが、愛着が育つのは、養育者による活動だけでなく乳児自身の活動によるところも大きいと言われています。乳幼児の養育では、唇、口、肛門、性器などの敏感な器官に触れるという点で、親密で性的なものであるが、授乳、トイレトレーニング、おむつの交換、入浴は、意図的に性的なものではありません。乳児が自分の身体に触れるのも「自然な自己への探求」です。
DeCasper, A. J., & Fifer, W. P. (1980). Of Human Bonding: Newborn Prefer their Mother’s Voices. Science, NewSeries, Volume 208, Issue 4448, 1174-1176.

 閑話休題。
 本のあとがきをどのタイミングで読むかはむつかしいけれども、武田百合子『遊覧日記』ちくま文庫版の解説で
巖谷國士は、武田百合子は目の人、見る人、見者だと書いています。
 「7 上野東照宮」では、東照宮のぼたん祭りが取り上げられています。ここでひらかれている俳句の会の参加者らしき、「上等そうな銀色の着物に銀色の帯をしめた中年過ぎの人が、石畳につまずいたかした」時の描写があります。
・・・頭蓋と石畳がぶつかって、ごっとんという音がした。…ゴリゴリと医師と髪の毛がこすれあう音をさせて、頭だけで全身を支えて擦っていったが、・・・とうとう最後には地面について、平たくなった。・・・
 この女性はとても痛かっただろうなと同情してしまうほどの冷静な描写です。
 見るだけではありません。拡声器からお琴の音楽が流れるなか、「・・・派手な上着を肩からひっかけた男と水商売風の女」の会話、「中年老年の女の見物客が連れだって歩きながら」の会話、「今までむっつりしていた男たち」の声などが加わります。生き生きとした描写のなかに、書き手のなまの器官を感じさせます。 「俳句の女先生らしい上気した美声」を聞きながら終わります。 (『遊覧日記』武田百合子全作品6 中央公論社 1995);(『遊覧日記』ちくま文庫 1993)                        (ホンダタカシ)


2022/12/26 09:18 | 未分類trackback(0)  | top

性加害の原因(4) 発達ーコンテクスト理論から加害行動を検討する

 発達―コンテクスト理論は、あまりなじみのないものです。発達はコンピテンスの発達としてとらえられています。コンピテンスとは、認知、社会関係、感情などの領域で、「各年齢や段階で人間としての十分に機能できるスキルを持っていること」であるとされます。そのスキルには、日常生活,コミュニケーション,運動、自己認識などが含まれます(第13章「包括的個別的評価と継続的アセスメント」pp.208-209)。人生にとって必要なそれぞれのスキルは、自己の経験と周囲の環境が相互に関係しながら、年齢とともに積み重なり、拡大していきます。それらは、比較的安定してようですが、事態によっては達成を妨げられたり偏ることがあり、問題行動へとつながる可能性があり、修正が必要になることがあります。
 モニュメント
 コンテクストとは、「世界観を指すもの」で、「自己、他者、世界に関する確信のベースとして、個人の経験と環境の関わりを検討する」のがコンテクスト理論です。自己、他者、それに世界に対する見方や考え方は、環境(社会)と個人の関わりから形作られる、と考える立場です。見方、考え方、知識は認知であり、環境と個人の関りとは経験です。新たな経験や情報は、既に持っている認知に取り込まれ(同化)、一方で、新たな経験や情報を取り込むために認知(の構造)を変化させます(調整)。ピアジェの理論そのものですが、このプロセスが発達で、コンテクストを形成します。

 自己観、他者観・世界観であるコントクスは、大きく分ければポジティブなものとネガティブなものに分かれます。人うまくやっていくという能力は、ポジティブに発達すれば友人が増えますが、ネガティブだと孤立に向かうかもしれません。

  発達とコンテクストという軸に、本書のテーマにそって加害と性という限定的な軸が設定されます。
  これら交差する軸は、虐待されたことなど被害を受けた状態から被害を与えること、加害する側への転換を示す枠組みになり、年少児の加害などを対照する第21章「特別な対象:子ども・女子・発達障害のある少年・暴力的青少年Special Populations : Children, Female, Developmentally Disabled, and Violent Yout」において詳細に議論されます。         (ホンダタカシ)

2022/11/03 07:16 | 未分類trackback(0)  | top

性加害の原因(3)家族システム論は重要だ

ご紹介している本書、Juvenile Sexual Offending:Cause, Consequences, and Correction. 3rd edition (2010). John Wiley & Sons, Inc の著者が抜けていました。失礼しました。Gail Ryan、Tom Leversee、Sandy Laneです。

 第3章「原因の理論」では、学習理論に続き、ページ数は少ないながらもいくつかの主要な理論を取り上げています。ピアジェ、エリクソン、フロイトの発達理論、アタッチメント(愛着)理論、認知理論、アデイクション理論、家族システム理論などを説明しています。 港

 アタッチメント理論は、早期の発達理論として重要な位置にありますが、加害の理論として取り上げられることは初めの頃は少なかったようです。しかし、「性問題行動が”愛着障害”でもある」(p.22)ことが明らかになり、この領域でも着目されました。早期の人間関係、つまり養育者と子どもの関係が人間関係の元型となり、自己のイメージと他人についての見方や予測に対して人生を通じて影響していると考えられます。アタッチメント理論は、見方を変えれば、人間関係の発達と対人認知や自己認知のプロセスをつなぐ橋渡し(p.23)であると考えられます。

 児童期逆境体験ACEsの多くの項目が家庭での虐待や家族関係であることから、家族システム論として家族関係やその構造に焦点があてられるのは当然のことかもしれません。かっては、家庭内で起こる加害行動は家族だけの問題としてとらえられていたようですが、被害者である子供の保護と支援のために、また性加害を引き起こした家庭内の加害者に対する指導/心理セラピーにおいても家族へのアプローチは欠くことはできません。支援や指導では、家族の力動などへのアセスメントとその修正も必要とされています。

 未成年者の性加害を検討する場合には、家族内で起こる加害行為は深刻な影響を絶えますが、学習理論でもふれたように、その加害者は性被虐待の被害者であることが多いのも事実ですさまざまな構成要素をアセスメントし検討する必要があります。
 後の、「第10章 性加害青少年の家族 」、「第20章 家族セラピー:性加害青少年のセラピー/治療における重要な要素」で再度取り上げられます。

 こうしてさまざまな理論が取り上げられるとどれもが重要であると思います。理論によって焦点の当て方や濃淡が異なるので、未成年者の性加害に対する対処や心理支援を考えるためには、それらを包括的にまとめ上げる必要があ絵本


   過日、大津市立三橋節子美術館へ行きました。美術館は森のような公園の中にあって、蝉が鳴く木立の間から比叡山を望みます。身近にある野草、琵琶湖をめぐる昔話などを題材にした日本画が展示されています。引っ掻いたり、こすったりしたようにみえる画面に、色がさまざまに重なりあっています。図案のようでいて、写実的、ポップだなという印象あります。見いっていると、シャガールの絵が浮かぶことがあります。

  この美術館は、赤瀬川源平「個人美術館の愉しみ」光文社新書(2011)で知りました。『第11話 花折峠の美術館』、で、「花折峠」は大津市の北にある地名ですが、昔話に題材をとった三橋節子の代表作の一つです。

 三橋節子 作「雷の落ちない村」小学館(1977)は、ご長男である草麻生(くさまお)さんの名前の主人公にしたやはり昔話にもとにした童話です。タッチと色の重なりが楽しめる画集としてながめています。             (ホンダタカシ)

2022/09/22 11:03 | 未分類trackback(0)  | top

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