「ため息」のその先に


 2点のビハインドで向かえた7回裏、1アウトでランナー1塁のチャンス。少し鈍い音の打球はセカンドへとび4ー6ー3のダブルプレーで、スタンドから「あ〜あ」というため息がこだまします。サル
 先日、こうした観客のため息?はプレイヤーにとってはネガティブでカチンときたとの報道がありました。確かにそうとも思えますが、賛否はさまざまです。

 こうした報道を聞いて、最近読んだ神田橋先生の「精神科講義」(創元社)のなかの「共感について」を思いだしました。大変面白かったので、引用しつつ私なりに思いをめぐらせました。
  
 例えば、泣いている子を見れば、親とはぐれたのか、それともどこか痛いのか、など思いをめぐらします。苦しんでいる人をみるとあれこれ原因を想像したり、こうしたらいいんじゃないかと考えます。「思い入れ」とか「思いやり」ですね。
 私たちはなにげなく「思い入れ」とか「思いやり」をもって聞いたりします。ところが、私ならこうする、ここはがまんだ、などと発展していくと「思い込み」に変わることがあります。

  冒頭のため息も、落胆ではなくここでがんばってほしい、とか勝負どころという思い込みからでたものかしれません。ヒト

 「一方的な思い込み」という表現のように、「思い込み」は相手はともかく 私は、という強い感覚です。先生が指摘されるズレをもたらします 。そのすこし先に、思い込みのときとは異る『ジーンとするような感じ』がでてきて、それが『共感の体験』であるとされます。違うけれど分かる、違うから分かる、という体験でしょうか。
 
 「思い込み」から一足飛びに共感に至るわけではありませんが、共感には思い込みの強いパワーを必要とします。それに対人援助ではスキルも重要です。このスキルという指摘もなるほどそうだと思いましたが、長くなるのでまたの機会に。共感は単なるスローガンではありません。

 対人援助では、「思い」から発展していく思い込みは時として判断を歪ませる厄介なものではありますが、共感に向かう原動力になりうるものという気がします。   (本多隆司)

2013/10/26 09:00 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

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