自閉症と私⑥

 昭和55年3月31日に厚生省より、「児童福祉施設最低基準の一部を改正する省令の施行について」という児童家庭局長の通達が出された。このような事態はある程度、関係機関にとっては予測可能なものではあったが、大阪府の対応は必ずしもスムーズだったとは言えず、通達が出されてから6ケ月後の10月に厚生省との施設の認可に関する協議に入り、翌月の昭和55年11月1日付をもって、松心園は児童福祉法内施設として認可された。

 このような児童福祉法内化の決定は自閉症研究専門委員会から指摘された問題点を末解決のままで自閉症児(者)の処遇体制だけがまたもや先行してしまったという印象を拭いきれない。松心園が認可を受けた第一種自閉症児施設(医療型)は前述のごとく「医療機関であることを要する施設」である。そして、通達では施設に置くべき職員として、医療法に規定する病院として必要な職員と児童指導員および保母(保育士)であると規定している。

 また、入所対象児童については
 (ア)パニック状態が頻発して、常時医学的ケアが必要なもの
 (イ)症状が不安定で、その時々の症状に応じて薬剤の処方内容の変更が必要なもの 
 (ウ)常時医学的処置を必要とするてんかん等の合併症を有するもの
 (エ)医学的診断が未確定であるが、自閉症児として療育方針を決定する必要のあるもの
 (オ)その他の「上記ア(ア)、(イ)、(ウ)に準ずるもの」となっている。

 そして、その影響は松心園の対象児童、療育内容、病棟運営等に強い影響をもたらした。すなわち、この通達では入院児のみがその措置対象となっており、従来より、デイケア等の外来治療に重点を置いてきた松心園には打撃的なものであった。つまり、外来患児に対しては国からの措置費は出ず、新たにつくられた「大阪府自閉症児通所療育実施要綱」や健康保険が適用された。
このことは、病棟運営にも影響を与え、主として国よりの措置費との関係で、松心園は入院治療へそのウエイトを置くようになった。そのため、入院部門については否応なく各方面から施設的役割を期待されるという事態が生じた。

 私は松心園において心理判定員として様々な心理テストやプレイセラピーといったいわゆる「治療的」な役割を担っていた。しかしながら、私の中では治療も大切とは考えていたが、それにもまして「子どもの生活を支える」といったことの方が重要ではないかと考えるようになってきた。そうしたことは当時、それほど重要視されていなかったと思われる。そうした悶々とした中で出会ったのが「大阪児童問題研究会」であった。子どもとその生活を、様々な角度からみつめ直してゆこう、という趣旨から集まった人たちの勉強会が月に1回、大阪日赤病院精神科の一室でつづけられていた。私も、迷わずその会の一員となった。

 その「大阪児童問題研究会」から発刊されていたのが知る人ぞ知るすぐれた雑誌「子どもとその周辺」(創刊1972年~9号1979年まで発刊された)であった。この雑誌には、人を理解しようという暖かさがあった。私はこの雑誌から多くのこと、特にものの見方の多様性について勉強させてもらった。

子どもとその周辺


小寺鐵也

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2009/12/01 09:06 | 未分類comment(1)trackback(0)  | top

コメント

こんにちわ。
お世話になっています。
福祉において大切なことを、後世に残る形で残してくださってありがとうございます。
先生が障害児童について卒業してからも、いろいろ教えてくださるのですごく勉強になります。
今日の講演会は行くことができなかったのですが、よかったらいろいろなお話をまた教えていただけるとうれしいです。

No:8 2009/12/05 20:47 | しましょう #XVgCdbeE URL [ 編集 ]

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