和歌療法は可能か!?

 最近のマイブーム的なことを書いて失礼します。
 非常勤で担当している同志社女子大学の「古代京都の社会」という講義の中で、『古今和歌集』の仮名序(紀貫之作)をここ一ヶ月ほど学生さんと一緒に読み進めています。それがきっかけで、最近和歌に少々はまっています(前回のこのブログでもちょっと触れましたが・・・)。
 自然や感情を素直に言の葉(ことのは)にのせて詠ずる和歌(やまとうた)は、理屈や計算を抜きにしてダイレクトに心中(こころのうち)を表現し享受するツールとして、日本人のまことに偉大な精神的遺産であると思います。従来、「歌ごころ」とは縁遠かった私ですが、この歳になってようやく和歌の心を噛みしめる境地を得たような感じで、自分自身でちょっと嬉しく思っています。
 古今集仮名序によれば、和歌とは「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武人の心をも慰むる」ものだとあります。昔から歌を詠み鑑賞することは人びとの日常の癒しでありました。そのような癒しを現代社会でももっと有効に活用できないものか?。音楽療法絵画療法(⊂芸術療法:アートセラピー)などはセラピーとして広く通用していますが、「和歌療法」なんていうのも、まんざら不可能ではないのではないか!。
 和歌は言語表現である上に、感性や情緒を豊かにし、思考やイマジネーション能力の刺激にももってこいだと思います。またリズム感や音楽性とも深い連関がありますし、更に昔から「歌合(うたあわせ)」百人一首(うたカルタ)ように、集団で行う遊戯性や競技性も備わっています。こんなことを考え合わせると、和歌療法についての手前味噌で得手勝手な夢が広がってゆくのですが、近い将来わが国でこんな分野が開拓され確立されてゆくことをひそかに期待したいと思います。
 ところで、古今集序に「歌の父母の様にてぞ、手習う人の初めにもしける」とされるように、和歌の初心者のための手習い歌として以下の二首がありました。
 ◆難波津に 咲くやこの花 冬籠り 今は春べと 咲くやこの花
 (取意・・・難波の津で咲いている木の花よ、長く冬ごもりして今は春だと、こんなに咲き誇っている木の花よ。)
 ◆安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに
 (万葉集16巻に所収NO3807)
 (取意・・・安積山ではないが浅い井戸だから自分の影さえ見える。その山の井戸のように浅い心で私はあなたのことを思っているのではありませんよ。)
 近年、紫香楽宮跡から出土した木簡に、この二首の和歌がワンセットになって表裏に記されていることが判明し、「歌木簡」として一躍脚光を浴びることになりました。この木簡の年代が745年頃のものと推定されることから、古今集撰上をさかのぼる160年前の奈良時代(万葉集撰進よりも以前)から、すでに「歌の父母」として広く通用していたことが明らかになりました。いわば英語でいう「ABCアルファベットの歌」であり、日本語でいう「いろは歌」のようなものなわけです。

   紫香楽宮跡出土の歌木簡       紫香楽宮跡出土の歌木簡2

 〔紫香楽宮跡出土の歌木簡〕         〔同じく釈文〕

(→詳しくはwww.komazawa-u.ac.jp/~hagi/Ko-NGB-utamokukan.pdf

 私も和歌の手習いの初めとして、まずはこの二首をしっかりと暗誦するところからはじめて、あわせて和歌療法の可能性も模索してゆきたいと思い居ります。
                   合掌(^∧^)
佐伯 俊源

 

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2009/12/03 13:07 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

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