歓喜の歌

ベートーベン
本多先生の音楽ネタに触発されて、私も音楽ネタで。

年末といえば、第九の季節です。
ベートーベンの交響曲第9番(合唱つき)という、
日本でも最も愛されるクラッシックの作品なので、
一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

実は、今から10年ほど前、私は3回ほど
第九の舞台に立ったことがあります。
もちろんプロではありません。アマチュアの合唱団に参加したんですね。

さて、第九は全部で4つの楽章があり、その後に、あの有名な「歓喜の歌」が
続く、壮大な楽曲です。

この「歓喜の歌」の歌詞は、ドイツ語です(発音がむずかしいんだな、これが)。
「合唱」の歌詞のメインテーマに付される「フロイデ」というドイツ語を
訳して、「歓喜の歌」と呼ばれたのでしょう。

では、この第九のフィナーレになぜ「歓喜の歌」が登場したのでしょうか。
ベートーベンは、人間とは何か。人間の幸せとはなにか、
それを第九のなかで探し求めているように私は解釈しています。
では、第九全体の流れのなかで、ベートーベンが探し求めた答えが
何であったのか、素人ではありますが、私なりの解釈を述べたいと思います。

第1楽章は、非常に厳粛な、重々しいメロディーで始まります。
まさに、音楽室に張ってある、しかめっ面のベートーベンのイメージです。
ある合唱指導の先生は、この楽章は、人間の「生」のなかの「理性」や「観念」が
込められたものだと仰っておられました。

続いて、第2楽章。重々しい第1楽章とうってかわって、
今度は躍動感あるメロディーとリズムがはじまります。
この楽章は、まさに、人間の欲動や熱情が表現されたもの。
まさに、パッション!(情動)です。肉体からわき出る熱情です。

さらに第3楽章。ここでは、とても美しいメロディーが流れます。
まさに、恋人同士が二人寄り添って、甘い世界のなかにいるような
そんな空気感を感じるような、甘くせつない、そして美しい楽章です。
モチーフは「愛」でしょうか。

そして、第4楽章は、第1,2,3楽章を回想するように、
それぞれのメロディーのモチーフが繰り返されます。
「理性」(第1楽章)、「情動」(第2楽章)、「愛」(第3楽章)
というそれぞれのテーマを振り返りつつ、
最後に登場するのが、「合唱」であり「歓喜の歌」です。

合唱は、次のような歌詞で始まります。

おお、友よ! このような調べではない!
そんな調べより、もっと心地よく歌い始めよう、喜びに満ちて。


理性でも、情動でも、個人の愛でもない「人間の喜び」とは何だったのでしょうか。


それが、この合唱の歌詞に込められた、
すべての者は神の下に兄弟となる
つまり、人間の尊厳の平等性という精神だったのです。

善きもの、悪しきもの、すべての人民が、
時の流れのなかで、分け隔てられた人民が、
神の軟らかな翼に包まれ、一つになる。

この合唱の歌詞は、ベートーベンのオリジナルではなく、
シラーという人が書いた詩「歓喜に寄す」の一部だったそうですが、
その詞を引きながら、ベートーベンは、人間の生にとって
真の「喜び」を、このような人間の尊厳の平等性に求めたのだと
思います。

そのことは、この合唱のメロディが、万人にも歌いやすいように
作られていることにもあらわれています。

ミ・ミ・ファ・ソ・ソ・ファ・ミ・レ・ド・ド・レ・ミ・ミー・レ・レ♪

主メロディーは、「ドレミファソ」の5音しか使っていません。
すなわち、誰もが口ずさめるメロディーを意識的に使ったのも、
万人が平等であるという精神が込められたことを表しているのです。

また、合唱のなかでは、「自由・平等」を求めたフランス革命で
庶民が口ずさんだメロディも一部使われているそうです。

さてさて。
この第九の初演が1824年といいます。
185年を超えて、未だ、この第九が私たちに愛されるのは、
優れた音楽性もさることながら、
こうしたベートーベンの人間に対する深いメッセージゆえ、
なのかもしれません。

砂脇 恵


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2009/12/21 15:01 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

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