便利さが生む不便さ

改札

わたくしごとだが、最近、携帯電話をiphoneに変えた。
これまで使っていた携帯電話では、ボタンを使って操作していたが、
iphoneは、画面を指でなぞる「タッチパネル」で操作する。
このタッチパネルになかなか慣れない私は、
メールを打つにも一苦労で、
機械を使っているのか、機械に使われているのか
わからないような状態だ(汗)

タッチパネルといえば、私の教え子で弱視だった学生に
こんな話を聴いたことがある。

銀行のATMのタッチパネルの画面は、弱視の人にとってとても読みづらい。
そのため、字を読み取ろうと画面に顔を近づけると、センサーが反応し、
「画面にお荷物を置かないでください」と機械音声が流れる。
画面から顔を離すと、こんどは字がよく見えない。
これはもう、とっても不便だ・・・と。

あるいは、こんなこともある。
知的障害者施設「止揚学園」のリーダー福井達雨さんの講演での話
(8年ほど前のお話)。

一昔前には、電車の改札口には必ず駅員さんがいて、切符を切っていた。
知的障害のある仲間が電車に乗ろうと駅に行くと、
必ず駅員さんが「どこまで行くの?京都?そしたら○○円ね」とお財布から
お金を預かり、おつりと切符を渡してくれたという。

ところが、現在は、自動券売機、自動改札が導入されてしまった。
施設の仲間のなかに、自分で切符を買って電車に乗れる人は一人もいないという。
大多数の人にとっての「便利さ」は、知的障害者にとって、「不便さ」になっている、
といったお話だった。


私たちの生活のなかで、技術革新はめざましい勢いで進んでいく。
スピードや効率性が求められ、どんどん便利になっていく。
しかし、この「便利さ」は、万人のものではない。
スピードや効率性といった「合理性」からはみ出る「非合理なもの」は
どんどん排除されていくのだ。

例えば、自動改札もなく、すべて人の手によって切符が切られていた時代。
エレベーターもエスカレーターもない時代。

機械や設備がなかった頃には、人間同士が助け合うしかない。
エレベーターがなかったら、車いすにのった人を介助するのも、とっても
大変だけれど、そのようにして、「健常者」も障害者も、障害者にとっての
不便さをともに分かち合うことができたように思う。

しかし、スピードや効率性が重視されるようになると、
そのような人間同士の営みも、失われてしまう。
障害者にとって「何が便利か/不便か」をともに実感するような
やりとりそのものが。

iphoneに格闘しながら、そんなことを考えた今日この頃。

砂脇 恵

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2010/03/08 23:40 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

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