明治の木造校舎

  宇和島市卯之町にある安政4年に開塾された大師堂を引き継ぎ、明治2年に甲義堂として開塾、3年半の活動後、明治の廃藩置県により、開明学校の校舎として使用され、南予地方の教育会に大きな影響を与えたという甲義堂にいってきましたIMG_0001_20100314204223.jpg

木造校舎がそのまま残っていて、私の小学校の頃の校舎を思い出し(神奈川県葉山町の同じく明治に立てられた、校舎で学びました)、懐かしく、中に入って、座ってみました。

目の前に児童心得「早ク起キ早ク寝ヨ」「行儀ヲヨクセヨ」「ヨク学ベヨク遊ベ」「悪イ遊ビヲスルナ」「体ヲ大切ニセヨ」「自分ノコトハ自分デセヨ」が掲げてありました。

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サーカデイアンリズムなども分かっていない時代なのに、きちんと基本的なことはおさえておられると、感じ入りました。生活リズムを整え、社会性を育て、自立することを明治の時代から教えておられたのですね。

裏山に踊り子草の花が咲いていました。ピンクの花弁がバレーを踊っているように見えるのでその名が付いたとか。自然破壊が進みむとなかなか見られない貴重な花だそうです。


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 萩尾藤江

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2010/03/17 00:00 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

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