借りぐらしの僕たち

ジブリの新作『借りぐらしのアリエッティ』の試写会が当たり、娘と見に行きました。

詳しいストーリーは公開前なので書きませんが、大きな庭がある家の軒下に住む小人の少女が主人公で、彼女の家族はその家に住む人間から生活に必要なものを「借りて」暮らしていましたが...という話しです。

思えば僕たちもいろいろなものを「借りて」暮らしているような気がします。TSUTAYAでDVDを借りるなど直接的に誰かに何かを「借りる」だけでなく、精神的な「借り」であったり、もっと言えばこの体も「借り」物なのかもしれません。

この「借りる」という行為は、その行為だけを見ると一方的な感じがしますが、無意識に行っていることもたくさんあり、知らない間に「借り手」にも「貸し手」にもなっているように思います。「借りる」を「助けられる」、「貸す」を「助ける」とすれば、より分かりやすいでしょうか。

小人たちには、姿を人間に見られると家を出て行かないといけないという掟があります。人間は危険だからというのが映画で語られる理由ですが、小人が姿を見せるのを楽しみにしている人物や小人を助ける人物なども出てきて、必ずしもみんなが危険だということはありません。

そこには小人が一方的に「借りる(助けられる)」と思いこんでいることから来る、負い目のようなものがあるように思います。思いこんでいると書きましたが、小人を助ける人物は重い病気のために「これまで助けてもらってばかりいたけど、自分が助けることも出来るんだ」と自信を得ています。そこでは小人は「助けられ」ながら「助ける」という行為も行っています。

福祉の世界では「助けられる」、「助ける」という関係が固定されると「助けられる」方が負い目を持ってしまうので注意が必要であると言われます。しかし、この小人のかたくなとも言える掟を考えると単に注意するだけではなく、「助ける」方がやりがいという精神的な「助け」や報酬などの物質的な「助け」を受け取っていることを積極的に「助けられる」方に伝えていくことが必要なのかもしれないと思います。



近棟 健二


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2010/07/16 15:10 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

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