脳死は人の死なの??

佐伯俊源(しゅんげん)といいます。
種智院大学・社会福祉学科では主に「仏教福祉」に関する科目を担当しています。
一方、奈良・西大寺の“お坊さん”で、宗教部長の役職を仰せつかっています。
四番手の登場(×四番打者ではない・・・)ですが、どういうネタで書くか迷ってます
できるだけ肩ひじはらず楽しく読んでもらえる内容をめざしたいです。
でも、ブログ初心者なので、しばらくはおゆるしくださいm(_ _)m。
せめて本日7/16にちなんで、以上の文字は「ナナイロ」にしておきます。

*******************

さて本題。
最近の時事の中で、政局がらみの話題がいよいよ慌ただしくなってきました。
政争渦巻く政局論議にはうんざりしますが、どちらかというとその影に隠れて、国会で重要な法案がアッという間に通過したり、先送りされたりしているのは、まことに由々しきことです。
その一つが、このブログが立ち上がった7/13に参議院を通過して成立した「改正臓器移植法」です。

今回の改正法は、
①今まで不可能であった15歳未満の子供から臓器提供を可能にするために、
  本人の意志は関係なく、家族の同意だけで提供可能とする。
②「脳死は一律に人の死」とする(同意する家族の精神負担を軽くするために)
の2点であります。

この法改正には賛否両論あり、私自身もその内容の逐一について一方的に賛・否のいずれかに与するものではありません。しかし、少なくとも、②の「脳死は一律に死」とする点、しかもそれが十分な国民的議論を全く伴わず、国会議員の評決のみで、怱卒のうちに法制化された点には、私は驚きと不満を禁じ得ません。

1997年の臓器移植法の制定以来、「脳死は臓器移植を前提とする場合に限っては死とみなす」(すなわち臓器を取り出しても殺人罪などには当たらない)が、「脳死自体が死であるかどうかは問わない」という理解でした。法律にしては非常に曖昧な書き様で、そのこと自体が批判されてもきました。

しかし、今回の法改正で「脳死は一律に死」とされてしまったのに比べれば、「死」という問題を様々な立場から厳粛に捉えた上で、なおかつ一律に解決できないこの大問題を、決して矮小化せずに法律に記述するという立法者の智慧を含み込んだ書き様であったようにも思います。

“いのち”は世の中の価値観の中で究極のものですし、“生・死”の何たるかはこれほど厳粛な課題は無いはずです。それを、世の中のご都合にあわせて、一律にどうこうと法律で決めてしまうのは、全くもって暴挙としかいいようのないことのように感じます・・・・・。

皆さんはいかがお感じでしょうか?

ここ数年、「仏教福祉学研究B」という講義の中で、「脳死・臓器移植」の問題を取り上げて学生さんと一緒に考察を深めています。今年の秋は、以上のような点を再び学生さんと一緒に検証してみたいと思います。

※なお私の「脳死・臓器移植」についての考えの一端は、以前に本学で刊行された『種智院大学公開講座』第8集の中に小文にまとめてありますので、興味のある方はご参照ください。

*******************

さてさて、文字ばかりのブログになってしまいました。
はたして、明日へつなぐ「送りバント」になったかどうか?

それではまた。  合掌(^А^)

関連記事

2009/07/16 00:15 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP |