ポスト「アラカン」

 この間、中学校卒業後45年目にして初めて同窓会に出席した。ふだんあまり意識はしていなかったが、「国分中学校 還暦 同窓会」と会場に貼られた横断幕を見て、「ああ、おれも還暦なんやな」と再認識した。母校を見学後、みんなで昼食を囲み歓談。2次会、3次会、?次会と大いにもりあがった。
還暦はいま流行りの「アラサー」(30歳前後)や「アラフォー」(40歳前後)流でいえば、60歳前後の人をさして「アラウンド還暦」、略して「アラカン」というそうである。
鞍馬天狗の写真

 私の年代で「アラカン」といえば、すぐに思い浮かぶのは還暦ではなく、写真の鞍馬天狗の嵐寛寿郎(あらし かんじゅうろう)、略して「アラカン」。木村卓也の「キムタク」の伝である。戦前から戦後にかけての時代劇の大剣客スターである。ちなみに味噌汁のコマーシャルでも知られている森光子は従妹である。右は杉作役の松島とも子である。
 さて、小学生だった子どもが45年を経て突然60歳になって目の前に現れた。「ああ、おまえは○○やな」とすぐに顔と名前が一致して出てきたり、まったくだれかわからず「おまえは、だれやったかな」と相手に名前を聞いて、「ああ、そうやった」と思いだしたりした。つらかったのは名前を聞いても、誰やったかまったく思い出せないことであった。「そんなやつ、いたかな?」。なかでも女の子(?)がこっちを覚えているにこっちがまったく覚えていないのが一番つらかったし、今もってこたえている。全校生をあわせても230人ほどの小さな中学校だったので、参加者のほぼ全員を覚えているという無意識があっただけに、ショックの大きかったこと。最近のことは忘れるが昔のことはよく覚えている、というのが認知症の特徴であると言われているが、なんのことはない。昔のことも忘れてしまって、覚えているのは昔のうちのごく一部ではないかということを悟った。
 みんなの近況はといえば悲喜こもごもであった。携帯電話は使えるが家庭用電話のかけかたがわからなくなってきたという恩師、すでに定年を迎えて土いじりをしたり無為をむさぼっている男、早期退職をして大学院に社会人入学した女、主夫をしながらプロの絵描きになった男、脳血管障害の後遺症で片まひになった男、つれあいに先立たれた女、親の介護のために非常勤雇用にならざるを得なかった女、などなど。さながら、ポスト「アラカン」の見本市のようであった。
 鞍馬天狗が活躍した幕末は、平均寿命が50歳に満たなかった社会なので「アラカン」まで生きるということはすごくめでたいことであった。しかし、平均寿命がかつての倍近くにもなった現在では、「アラカン」はたんなる通過点の一つであり、ポスト「アラカン」への新たなスタートラインという意味あいが強くなった。
 今日9月21日はおりしも、「としよりの日」、「老人の日」そして「敬老の日」へと変わってきた記念日。ポスト「アラカン」について考えを深める日としたい。

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1970/01/01 09:00 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

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