自閉症と私②

こだわります自閉症に。前回のブログにおいて1970(昭和45)年に就職した大阪府立の自閉症児施設「松心園」が私にとって「福祉」の原点になったと書いた。私にとっては、ここで出会った「自閉症」の子どもたちや親、教師、関係する医療・福祉施設の職員との様々な経験から私自身のその後の生き方に大きな影響をうけた。

 私が1970(昭和45)年に大阪府が設置した自閉症児施設「松心園」に就職した。当時、自閉症については児童精神科領域において乳児期に発現する最も理解の困難な症候群の一つであると言われていた。

 1943(昭和18)年にアメリカの児童精神科医であるカナーが「感情的接触の自閉的障害」という表題で11例の子どもたちについて発表し、後にこれらの子どもたちを「早期幼児自閉症」と名づけ、はじめて自閉症というものを報告した。日本においてもカナーの報告から10年遅れて鷲見たえ子によって症例が報告されていた。

 その後、自閉症というものに対して多くの専門家による諸々の角度、立場からの原因論が展開されていった。当初、カナーは自閉症の基本障害は、情緒的接触すなわち自閉性であり、特有な言語および認知機能の障害は二次的障害であるとし、心因論を展開した。

しかし、1970年代になってイギリスの児童精神科医ラターらが言語および認知機能の障害であるとし、自閉性は二次的なものと考えられ、その基盤に脳の障害を想定した器質論を打ち出した。

 当時、ラターの器質論は自閉症の原因をめぐるこれまでの心因論からの転換である。このような変換は、まさにコペルニクス的転回であるといわれた。しかしながら、こうした諸々の側面からの研究にもかかわらず、現在、自閉症の本態はまだまだ不明確なものにとどまっているというのが現状である。

 上記のような自閉症をめぐる状況の中で「松心園」は誕生した。ただ、「松心園」よりも早く設立された東京都と三重県の自閉症児施設はいづれも公立の精神病院に隣接して設置されていた。当然に「松心園」も大阪府立で唯一の精神病院の中宮病院(枚方市)に隣接して設置された。
 
 それはまさに当時の自閉症が精神科領域の疾病の可能性があるとの認識で捉えられていたことに起因するのである。

 小寺 鐵也

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2009/10/06 09:00 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

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