夏の修行?

前期の授業が終わった。
授業の中で、気になることが1つあった。それは、保健学でとりあげた「いじめ」のテーマである。
ある学生は、「70%の学生が、楽しいという場合に自分が30%側であれば絶対に楽しくないとは言えない。学校は、耐えるだけの生活。「学校の思い出が楽しい」などと安易に言って欲しくない」と言った。また、社会人学生も「仕事をしているときに、どうせ自分にはそこまでの知識は期待されていないと思っていた」と実習計画書作成のときに言った。

自己肯定感は、ほっておいても持てるものではない。この「どうせ」という感覚は無力感を生み続ける。
私も、PSWという職がまだ知名度が高くないので、日々へこむことの連続である。

尊敬する鷲田先生(大谷大学)は、プライドについてこう述べている。

『古い小学校にいくと、その校舎がとても立派であることに気がつく。
とても子ども相手に作ったとは思えないような、立派な装飾が施されていたりする。
それはきっと、これを立てた明治の職人たちが、子供達の未来に宛てた贈り物ではなかろうか。
この学び舎で十分に学び、立派な人になってくれ、と。
子供達は、その思いを感じたはずである。
このような立派な場所に「自分がいてもよいのだ」
プライドとは、自分は他者と違うのだとか、特別な存在なのだと思うことではない。
「あなたはこの素晴らしい場所にいる資格がある」という、他者からの認証である。
この他者から自分に向けられた視線が、自分を支えてくれる「自尊心」である。
プライドは、他者から与えられるものなのだ、ということだ』


この夏、学生さんは社会福祉士・精神保健福祉士の実習に出る。
ここ数日、私は実習先の指導者とTELしているが「大事に学生を迎えたい」というお話を聴くとほっとする。
きっとそこの利用者も大事にされて、プライドを与えられているのだろう。
大丈夫です。皆さんを待っていてくれていますよ。

検討を祈ります。           真柄


(高槻の行場;滝)

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2015/08/12 18:17 | 未分類trackback(0)  | top

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