「生きるため」の授業

  劣悪な環境の下で集落を作って暮らしているスラムと呼ばれる地域では、子どもたちは教育を受けることができないとばかり考えていたがうかつだった。読みかけた石井光太著『世界「比較貧困学」入門』PHP新書 2014年(第3章 教育)には次のように説明されている。抜粋しながら紹介する。

  よくスラムの子どもたちは学校へいけないというふうに考えられているが、たとえば、インドのデリーのスラムの就学率は68.1%という統計がある。
  スラム特有の教育とは何か。まず、多くの学校では進学を前提としない質の低い授業だけが行われる。内容は、公用語(ヒンディー語)と英語、それに単純な計算を繰り返し行う。生徒のほとんどが幼いころから町で物売りをしたり、父親の仕事を手伝ったりしているため、その仕事に必要な言葉や計算の勉強を繰り返し行うのである。何度も同じことを教えるのは、子どもたちが必ずしも毎日学校へ来るのではなく、仕事がないときにやってくるため、なかなか歩調をそろえて先に進むことができないからだ。
学校へ通うのは進学のためではなく、働くのに最低限の教養を身に付けることだという考え方を持っている子もおり、彼らはそれが済んだら学校へ行く必要はないと考えるのだ。読み書きと計算だけできるようになった時点でさっさと働きに出てしまうのだ。

  途上国では貧困者の将来は限定されているうえに、今日明日の食事代を稼がなくてはならないという厳しい現実がある。日本人は途上国の学校で学ぶ子どもの姿を見て、「貧しい子どもたちは勉強をできるありがたさを知っているから目を輝かせて勉強している」と感想を漏らすが、生きるために必死に勉強をするのは当たり前なのだ。ここに日本の子どもたちの置かれている状況との違いがある。

  目からうろこが落ちた思いである。
  「住居」「路上生活」「労働」「結婚」「犯罪」「食事」「病と死」についても日本の貧困と途上国のそれとを比較している。いずれも示唆に富んでいる。

                                                                        (明石隆行)

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2015/11/08 14:52 | 未分類trackback(0)  | top

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