お里と沢市

 10月21日午前に女優の南田洋子さんがお亡くなりになりました。私自身、直接の面識があるわけではないですが、少年時代からテレビドラマなどでよくお見かけしていた有名女優さんですので少々ショックでした。旦那さんの長門裕之さんとともに芸能界一の「おしどり夫婦」として知られ、近年では認知症を患われて老老介護のお姿もテレビで拝見しておりました。慎んでご冥福をお祈りしたいと思います。

 はてさて、「おしどり夫婦」なんて言う言葉は、もはや現代社会では死語と化してしまったのかもしれませんが、かつての日本では夫婦の一つの理想型として確固と意識されていたようです。

「妻は夫をいたわりつ~、夫は妻に慕いつつ~」
これは浪曲・壺坂霊験記の有名な一節ですが、ここに登場する「お里・沢市」の物語をご存じでしょうか?。

・・・・舞台は、奈良県高市郡にある壺坂寺
壺坂寺近くに住む座頭の沢市(さわいち)は琴や三味線の稽古をしながら、美しい妻のお里が今でいうパートで家計を支えてくれるのを頼りに、細々と暮らしていました。
夫婦になって3年、その仲睦まじさは近所でも有名でした。
ところが、そのおしどり夫婦に危機が訪れます。
沢市が寝入ると、夜ごとに女房のお里は家を抜け出すようになったのです。
「お里に男ができたのでは・・・」
目の見えない悲しさ、沢市は妻の不倫を疑います。
妻を疑う沢市は、ある夜ひそかにお里の後をつけたところ、妻が自分の目を治るようにと壷坂観音の前で懸命に祈願をしている声を耳にします。
壺坂寺はその昔、桓武天皇の眼病が時の住職の祈祷によって平癒したという故事が著名な西国観音霊場の第六番の札所でありました。
沢市は、生来の盲目ではなく、疱瘡がもとで目が不自由になっていたのです。
「生まれた時から盲目ではないのだから、見えるようになるかもしれない。」
お里はその霊験にすがって祈願をおこなう自分の真摯な心を仏前に吐露します。それを聞いた沢市は、涙と嗚咽にむせびかえるのであります。
沢市は貞節な妻を疑ったことを詫びます。
「疑いさえ晴れれば本望です。」
そして、お里は沢市をともに観音様のお参りへと誘うのです。
沢市は本堂に着つくと御詠歌をあげ、三日間ここに籠もって断食することを決心します。「その意気ですよ。あなたのお祈りを観音様はきっとお聞き入れくださいますよ。」 
お里も沢市を励まし、お籠もりの支度を整えるべく、いったん家に帰ります。
ここで事件が起きます。沢市はお里が帰った後、
「どうせ望みは叶わないだろう。それよりも、私のようなものがいてはお里の足手まといとなるだけだ・・・。」
と、死ぬのが妻への返礼と覚悟して、壺坂寺裏手の谷に身を投げてしまったのです。
壺坂寺に戻ったお里は、夫の姿が見えないので狂乱したように捜しまわり、谷底に横たわる沢市の骸を見つけます。
「沢市さんぇ~、どうしてこんな姿にぃ~。」 
お里は嘆き悲しみ、沢市の杖を抱きしめると、沢市の後を追って谷底へと飛び込むのでした。 あア、無情!。
しかしここで、谷底に並び伏す夫婦の前に観世音菩薩が現われます。
「お里の貞節と日頃の信仰心に報いてしんぜよう。」
観音様は二人を生き返らせたばかりか、見えなかった沢市の目を開けてくださったのです。
「み、見える、わしゃ見えるようになったぞえ~」
なんと観音様はその霊験力によって沢市の目も開けてくださったのであります。

お里・沢市の像
        【壺阪寺のお里・沢市の像】

 以上が、浄瑠璃や歌舞伎の芝居として著名な「壺坂霊験記」のあらすじです。

 もともとこの芝居は、壺阪寺に伝わる沢市開眼の伝説をもとに出来た作者不詳の浄瑠璃「観音霊場記」に、近世文楽三味線の最高峰・豊沢団平(二世)と妻の千賀が、明治12年に加筆改曲を行って上演し、以後大変な好評を博すようになったと言われています。
 いずれにしても、作り物語(フィクション)であり、お里も沢市も架空の人物でありますが、「嘘から出た真」ではないですが、この話は単なるフィクションを越えて実社会に影響を及ぼしているのです。

 たとえば、高取町にはお里と沢市のお墓がありますし、壺坂寺本堂右手の欄干の外は二人が飛び込んだ崖として観光名所となっています。また本堂の中には、沢市がお里とともに参拝したときに携えたとされる杖が飾られており、この杖に触ると夫婦仲がとても良くなると言われています。
 これらはいずれも「おしどり夫婦」の理想が世の人々の心に深い影響力を与えた証左でありましょう。

 ただ現実社会への具体的な影響という点で更に重要なのは、以上のような物語が背景となって、この壺阪寺でわが国はじめての視覚障害者の福祉が開始したという事実であります。

 昭和33年にニューヨークブルックリン植物園にならい、我が国で初めての目の不自由な人々のための植物園『匂いの花園』が造園されました。そして翌34年には、境内に盲老人ホームの建設が計画され、『壺阪寺福祉事業後援会』が組織されて、広く一般の人々から浄財勧募が推進されました。
 古来、目の不自由な人々にとっての聖地として篤い信仰を集める壺阪寺では、眼病平癒を願って全国各地から訪れる人々が絶えませんでした。観音様のお膝元で暮らしたいという目の不自由なお年寄りたちの強い願いにより、盲老人のための施設を造ることが自分たちの真の宗教と福祉の道だと語られた故常盤勝憲(ときわしょうけん)師の信念によって、昭和36年にわが国で最初の「養護盲老人ホーム慈母園」が誕生したのであります。

 その後、現代にいたるまで、壺阪寺では高齢者・障害者福祉を推進する社会福祉法人・壺阪寺聚徳会(しゅうとくかい)を組織して、独特な仏教理念に基づく福祉運営を行っておられます。現理事長であり壺阪寺住職でもある常磐勝範師(先代勝憲師のご子息)は、私より2歳ほど年長の敬愛する先輩で、普段から懇意にさせていただいておりますが、そのことも含めて、歴史・伝統・信仰に裏付けられた福祉事業を推進される壺坂寺さんに今後とも期待と注目をしてまいりたいと思い居ります。

 参考 → http://www.tsubosaka1300.or.jp/

慈母園 眼鏡

     【壺阪寺慈母園】                 【壺坂寺本堂前の大眼鏡】

                               これをくぐると目が良くなるという。                                                                                                                                                                                 

                       合掌(^∧^)
佐伯 俊源

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2009/10/22 16:22 | 未分類comment(0)trackback(0)  | top

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