トラウマというレンズを通して問題行動を見直す

    8月に買った新刊、「トラウマ・インフオームド・ケアー性加害者に対する治療を変化させる(仮訳)」はなか店舗1なかエキサイティングで示唆に富んだ本です。

  トラウマ・インフオームド・ケアという考え方は、少しとらえ難いところがあります。インフオームドinformedトは、「情報に基づく」とか「 よく理解した上での」という意味で、トラウマ知識に基づいた支援、とかトラウマをよく理解した上でのケア、となります。
  ですから、トラウマ・インフオームド・ケアは冒頭にあるように(p.9)、

トラウマを解消しようとするセラピーと同じではない。

では何かと言えば、
トラウマのレンズを通して問題行動を理解し応答するやり方である。

  問題行動の原因や動機をトラウマに求めるのではありませんし、ましてや言い訳にするのでもありません。性加害だけでなく、さまざまな問題行動をトラウマという観点=レンズから見直し、支援する考え方です。「レンズを通して」という表現はたびたび登場します。

  例えば、怒りをとりだしてみます。トラウマというレンズを通して怒りを見ると、「怒りは認識した脅威に対する反応」(p.19)と理解できることがあります。虐待やいじめを実行したした人や状況を思い起こさせる人や場面が脅威となるかもしれません。

    脅威に対する反応としての怒りは、単なる反撃ではなく、自分の安全がそこなわれそうだという悲鳴に近いもです。「怒りに隠されているのは脆弱性である」店舗2(p.19)。ですから支援者/セラピストとしては、  安全がおびかされていると感じたことと、怒りという反応とのつながりを対象者/クライエントに理解してもらうことが必要になります。

   対象者/クライエントが、自分の安全をおびやかす脅威をすばやくみつけ反応することは重要です。しかし、そのことばかりに注意がむくと自分のまわりで起こっていること、例えば友だちのA君の優しい気持ちやB さんのとげとげしい態度などに気づかず、誤解することだってあるとすれば、対象者/クライエントにとっても周囲にとってもうまくありません。

  安全がおびかされていると感じれば、だれかに援助を求める、その場から立ち去る、理解されるよう主張するなどの選択肢があるにも関わらず、よりによって怒りが選択されました。
  単に、怒りを抑制したり、管理/マネジメントするだけではトラウマ・インフオームド・ケアとは言えません。対象者/クライエントの安全感には全く対処されないからです。  

  トラウマというレンズを通して見ると言うことは、問題行動として指摘し対処するのではなく、トラウマの影響や症状として概念化/見立てたうえで支援すべきだ、との指摘です。
         
Levenson, J. S., Willis. G. M., & Prescott, D. S. (2017). Trauma-Informed Care : Transfoming Treatment for People Who Have Sexually Abused. Safer Society Press.       


さて。岐阜県美術館2
  岐阜県美術館で、ナンヤローネ企画のひとつ「BY 80s FOR 20s」を見ました、または体験しました。1980年代が未来2020年に語りかけるもの、がテーマです。http://www.kenbi.pref.gifu.lg.jp/index.php展示されている作品はポップで、イラストレーションやグラフィックスなどさまざまな表現があります。特別支援学校などとの共同制作も展示されています。
  美術館でもらったこの企画を対象の岐阜新聞の号外?のインタビューで、横尾忠則がグラフィックスから画家になろうと衝動的に思った時のたとえに静かに爆笑しました。
「ブタが美術館に入ったら、ハムの缶詰になって出てきた」
ニューヨーク近代美術館MoMAでピカソ展を鑑賞中のことだったそうです。                          (ホンダタカシ)
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2017/09/16 16:31 | 未分類trackback(0)  | top

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